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う~。かなりのハ-ドスケジュ-ルの毎日。学童保育も朝7時30分からの勤務が続く。間の土日は、組門徒会・組婦人会の総会だった。んっ、でもこなせるのが面白くなっているというか。薬を服用する暇がなくなっている。単なる、緊張性頭痛なのではないかと感じる。朝、6時には出勤のため目が覚める。つい最近まで、起きずらい、睡眠が10時間いるとか言っていたのはどうしたんだろう。職場で、愛想がないが(自然体)、きっちり仕事をされるかたを見ていて、そうか、これでいいんだと気づく。そういうことか。
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過去との折り合いか。これがなかなか。依存してきたというより、依存させられてきたっていうのは屁理屈だろうか。(-_-;)自立できないようにさせられてきたというのも、まだまだ折り合いがつていないということか。又吉さんが芥川賞を取りましたが、太宰の「人間失格」が自分のようだと述べています。そうなんや。だから、文学にたけるか。一昨日昨日と学童保育。7月21日からの夏休みの準備もあり、クタクタ。でも、体の疲れも悪くはない。夏休みのシフト表を見ると、ほぼ毎日。
うん。今日のカウンセリングは、上手く表現できた様に思う。もやもやが上手く描写できると自分でもそうなのかと思う。(・.・;)そうそう、「人は褒めて育つ。」これは、言葉だけでなく、本当に鉄則のように思う。褒めてもらえるから、プライドが満足し、それ以上を求めない。満足できないと、プライドが肥大し、斜め横から眺めるような卑屈なとらえ方となる。(-_-;)母の「タメ息」が嫌だったが、それを受け継ぐ苦しさもなかなか。
う~ん。寝れない。昨日、午後3時半頃から30度を超える暑さの中、墓地の草刈作業をしたら、体が興奮しているように思う。(-_-;)墓地に続く傾斜のノリメンは、昨年、隣地の人が、生え放題の草を何とかしてくれと、訴えにこられたのでやらずにおれない。(・.・;)母の頃は、門徒の人に謝礼を出し頼んで、作業をしてもらっていたが、高齢になられたし。私は私というが、なかなか引き受けられない。人は平地に生まれ、ヒマワリのように咲く人もいれば、崖っぷちに種が飛んで、雑草として生きる人もいるか。では、崖っぷちに生まれた人は、常にヒヤヒヤの緊張感を持ちながら生きていくということか。でも、他人を羨んでも仕方ないことは分かる。緊張感が堪らないのだ。
今日、明日は久しぶり行事のない土日。なんか組の業務が嫌になり、今日は娘を誘って、4Dの映画「タ-ミネ-タ-」を見に。座席が揺れるし、水が飛んでくるし、風が吹いてくるし、なかなかのもの。それにしても、娘はなんと明るいのだろう。(+o+)不思議な親子かも。私は、「悩む」という人種なのだろうか。でも、共感してもらえる人は少ない。(-_-;)分からないのです。おそらく。それは、私がアフリカのコンゴの人の悩みを聞いても分かりにくいということなのだろうか。 
何なんだろう。この息苦しさ。単純にそう思う。共依存とか養育環境とか遺伝とか、ふっと思い浮かぶが、分からない。原因探しは、過去に囚われるだけなのだろうか。それにしても出る「タメ息」。脳が、ゴムボ-ルの様に柔らかくなってくれないかな。(-_-;)疲れてしまう。
最近、ブログ書く気力もない。(>_<)新年度に向けての打ち合わせ会議、資料作成にうんざり。6月頃から、調子が落ちているのは、このことが気になっていたからだろうか。今日は、「琵琶湖一斉掃除」の一環で、午前中、地区総出の草刈作業。普段、垣根を高くしている近所の人と作業活動。作業していると、垣根が低くなってくる。ということは、普段、私が勝手に垣根を高くしているということか。(-_-;)ひょっとすると、体が敏感な性質だけなのに、その反応を心の病に結び付けているということなのだろうか。両親のせいに結び付けているということなのだろうか。出来ないと思い込んでいるのだろうか。ちらっと、そんなことを感じたが、分からない。
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