やはり、定期的なカウンセリングは必要と思う。自分一人では、凝り固まった思考がなかなか分からない。先月、60歳を迎えたが、一人で悶々と思考した時期が長すぎた。それにしても、余りにも幼少期の家庭環境がひどすぎたことを、改めて知らされる。認められてこなかった故に、存在そのものが緊張し、疲れ果ててしまう。昨日、テレビで「24時間チャリティ-」をしていたが、苦難の人生を歩んだ人を見せられると、すごく共感でき、涙が出そうになる。 僧侶心理カウンセラ-として、歩みたいな。長い苦痛の人生が、意味のあるものになるように思う。
それでも生きるのだろうか。例のごとく、頭が締め付けられ、脳がしびれる感じがする。本当に嫌な状態。首筋の張りがきついので、メガネの度が合っていないかもと、眼鏡屋で度数の検査をしてみたが、特別異常なし。来週は、整形外科に行ってみよう。作物や金魚を飼育していると、弱いものは弱いように、私もどうやら弱いように感じる。ちょこちょこと、横になり休憩しないと、24時間が持たない。(一一") そもそも、なにが良くてなにが悪いかわからない。
門徒さんのお盆参り、真っ最中です。まもなく人生の最終章を迎えるご老人を目のあたりにすると、それはそれで良かったのかもしれないと思う。私も、苦しい人生を歩んできたが、それはそれで良いのかもしれない。昨日も法事で法話をしたが、人間は「損得」「勝ち負け」「比較」で、生きるように仕組まれている。悲しいサガです。なんとかしたいが、なんともならないという事実。私が苦しい分、お話がしたくてしたくて。共感したいし、共感を求めている気がします。
そう、あの日も暑かった。高校の授業が終わり、話し相手がなく、そそくさと一人自転車駐輪場から帰る。学校帰り、学友と話していないのは、もう半年以上だろうか。観音坂と呼ばれる、坂道が本当にきつい。この坂道にかかると、どういうわけか「いちご白書」を口ずさんだ。しかし、歌詞が不明瞭。毎日、毎日一人ぼっちの寂しさ。今日、ラジオで大阪大学の教授が損した時の方が、得した時より2・5倍のものがあると話していた。寂しさも同じではないのだろうか。楽しい時より、2.5倍の悲しみではないだろうか。無意識に押し込んでいる悲しみを、文字にした方が昇華作用で軽減されるような気がする。  
2017.06.17 発達障害
疲れたな~。(一一")脳内疲労か体力疲労か、どっちなんだろう。【すっきりしない】感が、嫌で仕方ない。カッタ-シャツに格子模様が入っていると、模様が曲がっていないで、ズボンに収まっているか気になって仕方ない。とらわれる。もう、こんな疲れ方、嫌になる。若い時から、もう、いろんなとらわれに焦燥してきた。フイット感を、もてあそぶようなものだが。やっぱり、多少は発達障害があるのだろような。