2016.01.25
スキ-場の労働を体験する日々。現場のスタッフは、気性が荒い。(*_*; どこまで持ちこたえられるかテストしてみよう。激高した注意が、私、本人を責められているように反映する。なかなかです。昨日のカウンセリングで、改めて思考・行動・感情のバランスを考える。でも、たぶん元とも哲学的思考の私なのでは? カウンセラ-のHPを何とか作成した。 http://www.zb.ztv.ne.jp/p5xnixjb/

2015.11.15
組の門徒会県外研修で、石川県の金沢別院へ。この隣の小松教務所にかって勤めていたので、以前何回か来たことがあります。久しぶりです。金沢市内の道をバスが走ると、かっての甘酸っぱい思い出が脳裏をかすみます。人それぞれでいいのか。でも、人と話し始めると苦しくなってくるんだよな。全身で力を込めないと、言葉が出てこない。無理しているということか。
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2015.08.13
連日の学童保育で疲れ気味。事実を見ていくか。そうなんだろうな。保育の仕事をしていて、誰も特別に私のことを見ている訳ではないのに、一人頭が締まっている。(-_-;)この場面にちょくちょく出くわす。頭は締め付けられているんだが、体の筋肉の力を抜いている感じを味あうことも、ちょくちょくある。現実をみる練習といったらいいのだろうか。ギャップを感じながら。先日、合間を縫って、福井に家族旅行。片町、久しぶりでした。恐竜博物館も何年振りだろう。相変わらず、盛況です。
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何も予定がない日の方が落ち込む。(*_*;というのは、有意義に過ごせていない、形が残らないから。少しくらい無理して形に残るものとして外出したり、片づけものしたり、掃除したりというのがよいのかも。しかし、どこまで本心か、人の目があるから動いているのかという微妙な葛藤。(-_-;)認められるための行動といったらよいのだろうか。人は、どうしているのだろう?やりたきゃやる、やりたくなかったらやらないという自発的な単純行為なのだろうか。これならストレスが少ないように思う。というか、こんなこと考えるのは完全主義の私ということなのかな~。
少しづつ、周りは怖い人でなく、共に生きている人という認識を実感する。ただそれだけの人々か。昨日も、別院の報恩講に出仕をした折、着座の際、ソウカイの脱ぎ方を間違えてしまった。(-_-;)まず、思うのは、「怒られる」という恐怖。これって、母に祖父に怒られるという習慣が身についているためでなかろうか。烙印を押されるとか。恐る恐る、座敷にもどっても、「間違えた?」程度のもの。逆に「音を出さず上手に歩いていた」と。別の人は「やり返しができんしな~」と。好意的。それだけのこと。頭に膨らむ恐怖は偽物か。逆習慣づけが必要。これがなかなか。(*_*;